昭和47年5月10日月例祭

 『真にありがたしと思う心 すぐにみかげのはじめなり。』

 「真にありがたし」私共は真に有り難し心をめざして日々信心の稽古をさしていただく。どうでしょうか、私ども朝から晩まで「ありがたいことだ、ありがたいことだ」と云い暮して生活ができたらそれに勝る幸せはないと思うですね。
 人間がそういう風になれるだろうか、そういう心の状態になれるだろうか、なれないのだと決めつけてしまう人もあるでしょう。
 けれども本気でそのことを焦点にして信心の稽古させていただくなら、教祖の神様が教えられる処の全ての御教えというのは、そこに焦点が置かれてある。
 人間がありがたく、人間が真にありがたいという心になることのための教祖ご自身がそういう道を開かれた。十日十日をご自身の生神金光大神の祭り日、金光大神祭という祭りをなさっとられる。
 皆も「信心が十年と続いたら我とわが心を奉れ」とも仰っとられる、わが心が奉れる程しの心が私は「真にありがたし」という事だと思う。
 どうでしょうか皆さん、本当に焦点が間違えると上達いたしません、やはりそこに焦点を置いて、それに向かって一歩一歩進んで行こう、今日一日振り返ってみて果たしてありがたい心が心の底からありがたいと思ったことが何回あるだろうか、不平を思うたり不足を思うたり、辛い苦しいというは思うたけれどもありがたいと思うたことが何回あるだろうか、そういう何回がだんだん多くなってゆく生活、そういう生活が私は信心生活だと思う。
 そして私でもこの調子でいけばありがたくなれるぞ、わが心が奉れるようになるぞ、自分が自分の心を拝めるようになれるぞと確信が持たれてくる処からいよいよ信心はありがたいものであり同時に楽しい事になってくると思うですね。
 始めからありがたくなるの稽古させて下さいというてくる者はありません、様々な難儀さまざまな問題を抱えて、それが人間の知恵、力ではどうにも出来ない処から、神様なりともおすがりしようか、神様にでもお参りしようかということで始められるわけです。
 今晩は横浜からお参りになっておられます。羽田野さんのご兄弟の奥さんに当たられる兄嫁に当たられるんですかね、、それがわざわざお礼参拝してこられたんです。
 もうそれこそ大変な病気で難渋しておられる、そして安富さんの信心しとられる合楽の金光さまにおねがいをしてくれという事から
毎日、羽田野さんが・・?日参になっとられますから、お届けがありました。おかげを頂いてまいられましてから、いうならば、病み上がりのお体でおかげを頂いてその喜びが一路横浜から合楽までを直行でお礼参拝されて、そして只今から帰らせていただくという、あちらには兄弟も居るからあちらで一時遊んで帰ってこうという物見遊山的ではなくても本当にお礼参拝なんです。
 波多野さんともう一人のご兄弟と三人で参られまして、「今日は今夜は月次祭でもありますしから、今から夕食でも取ってから又お参りさせていただきましょう」というので今晩もお参りになっとられるわけです
 私はお礼のお届を聞かせていただいて信心とはありがたいなあと思いました。第一ね身体の上にも、それこそ、わざわざお礼参拝さしてもらなければ、相済まんという程しの、ゆわゆる、切実心を持ってお参りをされた、それでそのありがたいという心が、これでお礼参りが済んだだからお終いというのでなくて、そういう心が育てられていくということが信心だと思います。
 今日の朝の御理解を頂かれて金光様の御信心の何たるかと言う事もだいたい、今日の朝の御理解はそういう説明でした。金光様の御信心がなからなけりゃ本当の助かりはないのだ。これは我田引水ではない本当のことなんです、真実のことなんです。
 お釈迦様は思索の人であり、キリストさまは大霊能者でお在りになった、ゆわゆる、菩提樹下にずーとお座りになられて、それまではあらゆるそれこそ、日本でいう処の八百万の神々の信心になって信心によって助かろうとなさった、ところがそれは難行苦行なさったけれども助けられろことができなかった。
 それから菩提樹下の修行に入られてお座りになった7年間、そういう例えば、ものを思うという、その思いがだんだん究められていくということ、ですから宗教家というよりもむしろ哲学者だと、そういう思索の中からそういう思いの中から生まれた宗教だ。
 「良し悪しを捨てて起き上がり小法師かな」例えば人間がそういうずーと哲理から哲理真理から真理へ追うていく処の勉強をさしていただきますとね、本当に自分という者が無我の境地というようなところまで行けれるのだ。
 行けれる事は、もう良し悪しを捨ててかかれる、そして自分の心の中に悟りが開けてくる、それを仏教でいう救いであり、それが助かりなのだ。
 けいどもそれはどこまでも自分が助かるということ、ですから、そういう道でも分からせてくれと云うて集まったのがあの沢山のお弟子さん方である、ですから、そういう例えば自分自身がそういう難行苦行をさせて頂いても悟りを開いて助かっていこうという助かり、それもお釈迦様のいわば、哲理を究められた思想そういう心から生まれた、そして神とは外にあるものではなくて我が心の中にあるものだと悟られた。けいどもそういう悟りでは唯自分だけが助かるということにしかならないんだ。
 私が今朝からいただいたことを本当に素晴らしい表現だったなあキリストさまは大霊能者死人も蘇る程しの霊徳という霊能者であった
 お釈迦様は哲理を究めた人であった。今日のご理解を改めて思わせていただいてお風呂に入らせていただいとったら、私の18番の佐野さの文句が出てきた、「情熱に燃えた瞳が分るんでしょう、口つけだけでは物足りん、力の限り抱きしめて、心ゆくまでねえあなた」たいへん粋な文句、お釈迦様の場合はね、じゃない、金光教以外の助かりというのはね、そこまでなんです。
 それこそ神様にうち込んで行こうと言う、神様と合体するというものでないということ。人間が例えば男女のことであってもそう、口ずけだけ、そして一緒になられないこんな苦しいことはない、そこで行われるのは自分で自分を慰めるという自慰的な行動になってくる、ですから、自分で自分を慰めるという、自分で自分の心を抑えるという、自分で自分の力で良し悪しを捨てて掛かろうという生き方が、その代表的なのが仏教です。
 ですから自他共に助からん、お釈迦様でもそうでした、だから自分の奥様もお子様も自分の王城ですらも潰れてしまった。
 けいどもお釈迦様の思想というものをみんなが体得しよう、これは「溺れる者はわらでも掴む」という心理がありますから人間には、ですからに、本当に助かれる道があるならばと、やっぱり、それを究める。
 そういう信心が浄土真宗とかゆわゆる親鸞聖人様の信心になってまいりますといよいよそうです。それこそどのような罪業どのような悪人であろうが助かるんだと「南無阿弥陀仏」と唱えれば、この世では仕方がないそれを諦観。
 この世では仕方がないけれどもあの世では必ず仏様の世界に救い取ってもらうことが出来るのだというのです。ですからもう沢山の救えてない人が「溺れる人は藁をも掴みたい」という一念で縋っていった、それで病気が治るとか災難が除けられるとかというような宗教は低級だ雑宗だときめつける向きもありますけれども、もし人間生身をもっている誰しもが果たして病気してる者が全快のおかげを願わん者があろうか、貧乏してる人がここに幾らかのお金があったならとそういう願いを持たない者があろうか、人間のあらゆる難儀というものから解脱したい、ゆわゆる、助かりたいという心、そういう心のない人はありますまい。
 金光大神の教えられた道は本当に私がありがたくなった、いわば、私が助かったら自他共に助かっていけれる道なんです。
 自分で自分を慰めるという事からはなんにも生まれないけれども、例えば男女が合体して双方が喜びに浸らせていただく時にそこから生み出されてくるものそれがないのです。金光教の場合はそれなんです、
 私が神様にうち込んでゆく、神様とともにあるという信心が分らしてもろうて、そこから生まれてくる喜び真にありがたいという喜び、真にありがたいと思う心にその人間の幸せの全てが伴のうてくるというのが金光様の信心、ぜんぜん根本的に違う。
 達磨太子が七年間も壁に向かって座わられた、座禅も組まれた、そして心を開かれた。もう良しも悪しも捨て切ってしまう境地は開かれたけれど、それこそ人間としての楽しみも楽もなんにもならなかったろう、そういう事でいいだろうか人間は。隠遁(いんとん)の生活、山にこもって自分達が助かって行こうと云う。
 本気で信心修業さしていただく時に私どもがまっしぐらに、脇目も振らずに我が求める信心を求め続ずけてその事だけに専念されたらさぞよかろうと思った時代がある私も。
 久留米の梅林寺さん禅寺ですね、お坊さん達が三々五々まんじゅう傘をかぶって墨染めの衣を着て修業して回っとられるのが羨ましいごつあった。
自分にも妻がないならば、子供がないならば、あういう生活に入ったらどんなにこれが助かるだろうか形になるだろうかと思ったけれど、金光様のご信心はそうではなかった。
 家内を子供をそして親を擁しながら、しかもその難儀を目の前で見ながらそこから助かっていく、だから云うなら難しいんですね。
 隠遁するんじゃない、隠れるんじゃない山にこもるんじゃない、お互い生活の現場でそこからおかげを頂こうというのは、その中に私の心の中に喜びを頂いていこうというのが金光様の信心。
 今日横浜から;お礼参拝されたいう方も本当におかげを頂いたのが、話しを聞いておると第一家庭が非常に和やかになったとこういう、一心に金光様と遠方からでも、山田先生が申していました、本部で一年間修業さして頂くのは、唯私の心の中に親先生あるのみ、それがそのまま御取次の働きがあるという体験を時間があるならもっともっとお話ししたいとお話しとりました。
 自分の心の中にいつも親先生が、親先生といつも合体しておるという訳、遠く離れていても時間もなからなけりゃ空間もない、いつも私の心の中で親先生と二人喜び合うておるというのである、それが御取次の働きだと。
 横浜からお礼参拝なさっておられる方も同じこと、本当に「第一おかげ頂いたのは嫁がおかげを頂きました、嫁がもうたいへん優しい、病気を境に、それも私の今度の病気によって私のこの角が落ちたから」と云うとられる、「それですよそれですよ」と私はここからそう申しました。
 自分に角があるかわからなかったけれども病気という難儀に直面していよいよ思索をする私は思索とか霊能とかの言葉を持って申しましたけれども、そういう金光教の行き方の中に一つの霊能も発達してくるし、また思索の人にもならなければならないんです。
 私はお参りがない時にはじっと思索してます。神様を思いおもい思い続けている、自分の心を見究めている。ありがた涙がこぼれて来る、嗚咽するほどありがとうなってくる、ここで思索をいていると。
 だから思索の人にもならにゃならんけれども、基本的な処を踏んまえての、いわば、霊能的な徳も受けなければならないし、又思索の人にもまたならなければならないのです。
 「病気で休ませて頂いてるうちに、私の心の中からここから角が落ちました」と言うておられる。
 今まであった、それを病気になって始めて角がある事に気がついた、それが落ちた、そしたら何と云うても、家庭に和やかなおかげを頂いて、、息子は奇跡的な自動車事故に合われたけれども、それこそ、それはそれは大変な不思議な働きのお中におかげを頂いたというお礼お届が加わっておりました。
 それより増してありがたいことは家庭が円満になったと、第一嫁が優しくなって、おかげをいただいて、『「お母さんどうぞお礼参拝して来てください」というて勧めてくれたのでお参りが出来た』というておられる。
 ですから私の一心がこれで神様に届いたのであるから神様に聞き届いたのであるから、もうこのまま帰らせていただくという程しの思いこみ、ご兄弟たちお止めになられてから「ひとつ月次祭にでもお参りさして頂いて今晩一晩泊まってまあおかげを頂かれた。
 椛目から今昔のお広前のすぐ裏の篠原さんのおばあちゃん、おばあちゃんといってもまだ若いですけれども、毎日お参りになります。
 もう参ってみえて、その辺から入ってこられると、もうこれ以上頭が下げられまいというようにして拝まれます、ここでは感動一杯,「一日がありがとうして、もったいのうしてこたえん、」
 それこそ裏表にいる時には表の金光様のがやがや云いよると返って喧しいぐらいだった、ほんに裏表じゃった。
 それがです、今日はありがとうして、ありがとうしてという事になってきた、信心たあありがたい。
 息子さんの交通事故から、それこそ、助からない処から助けて頂く。
 今日は近所にイも植えがある、手伝いに行きたい、あちらは手が足らんで困ってられるようだから。
 それが楽しうしてそれが他所の仕事をしてさしあがるのが嬉しゅうて応えんというような心の状態、真にありがたいと言う時には、ご用もまたありがとうなってくる。
 まったくこんなことせにゃならん、せにゃならんから苦になる、そんなことほっからしとってよい。他人の隣のことですらも、イも植えがいそがしいごとあるけんお手伝いでもやらしおて頂こうとしていそいそとここから帰っていっていかれ。
 、そういう心の状態が真にありがたい心からは生まれて来る、もちろん真にありがたい心に伴うてくるものがおかげなんです。これは私は要らんと云うとっても付いて来る。
 むねがら?だんだん病気が全快して行くに従って自分の・・?が分ってき角が取れていくに従って家庭が円満になっていくだけでない、第一嫁が優しゅうなるというようなおかげを頂きしかもやはりそれこそ息子さんが事故にあわれてから無事故で帰られた時に、「お母さん、やっぱり神様はござるぞ」と言うて帰って来られた。
 そういう私は信心。そういう心というものがはじめから真にありがたいをめざす訳ではない、いうならば「願う氏子におかげを授け」と仰るから、願わずにおれんからお参りしてくるけど、それがそこで足踏み状態である信心であるならば、いかに金光教の信心が真の信心だというても、もうそれは真の信心ではないということ。
 しかも、真の信心の焦点というのは、どこまでも天地が相手であり、天地の働きそのものをおかげをおかげと実感さしてもらう生活。
 いままでと同じ変わりはなかったけれども信心がだんだん分かってくる、真にあいがたいという心が生まれて来ると、それこそ、お生かしのおかげを頂いていることがこよないありがたいことになって来る。
 痛くても痒くても生きてる印であるとありがたいものが湧いてくる、ゆわば、同じなんだけれども、信心が分かってくるに従ってありがたいおかげの広さ深さというものはいよいよ深く広くなってくる。
 しかもそこに私の助かりがあるだけではなくて、例えば仏教で言うならば、自分の心に悟りを開いて自分が助かって、それこそ、我情も言わなければ我欲もいわん、善し悪しを捨ててしまえる程しの境地が開けても、そこには生活苦があり、病気の苦しみがあり、それから心が解脱しても、そういう難儀から解脱する事は出来ないというのが,私は今の金光教以外でいう宗教だと思う。
 または,御利益を言うておっても唯霊能的なことだけによって助かるとか、おかげを受けるという程度の信心であって、
 ここ2,3日いかにも金光様でなけりゃならんように、私は云わなけりゃおられない程しに金光様のいよいよ素晴らしさに触れていっているから、皆さんにも聞いて頂く訳なんです。
 本当に内の親ごと素晴らしい親はなかと思わないと親孝行はでけませんよ、私が頂いてる信心ぐらい素晴らしいと思わなければ、もう合楽以外にはないということが生まれて来る時に始めて合楽にうち込んで行く、ゆわゆる合体していくことが出来るのです。
 唯口つけぐらいでは出来ん、自分で自分を慰めるぐらいでは出来ん、最後のぎりぎりの処までおかげを頂いて交流することによってそれから次々と生み出されるものが真にありがたしの心に、おかげがあるいうおかげがもうこれは無尽蔵に頂けてくる訳であります。
 そういうおかげの世界に入って行くお互い稽古、真に有り難い心,真にありがたいと思いれるところまでお互い信心修業さして頂かにゃならんと思う。
 この26日が久留米の初代の石橋先生の三十年の式年祭がございます、あちらの教会から何名のお参りがあるか,バスで参るか自家用車で参るかそういうことまで尋ねてみえとられる、それが十五日までですか高橋さん、ですから、この前の20年祭のときはここからバスでお参りしました団体バスで、ですから申込んで早く、13日までぐらいに十三日会ぐらいまでに、そして手配しなければなりませんから、それから玉串料とかお初穂とかも事務所までお届いただけば一緒におかげ頂きます。
 久留米の初代のご信心が例えば30年後の今日でも、いうならば、出社のまた出社という私の方あたりまでが、お参りしなければおられない程しのものを持つておられたという事は素晴らしいですよね、。
 久留米の先生の初代のやっつぱり御徳です、御徳にあやからせて頂こうというのでございます。お互いが死んでからだんだん5年経ち10年たつと忘れられて行く人と、もうだんだん年限が経っていけばいく程にそれがありがたいものになっていけれる、これは徳を受けなければ出来る事ではないと思う。
 死んだ時にはそれこそ全宗をあげてといったような告別式があっても後はだんだん忘れられて行くいったようなことでは徳とは云えません。
 やはり石橋先生・・・?じゃないですけれどもだんだん年数が経ってに従ってそれが尊いものになってゆくようなおかげを受ける、ゆわゆる、お徳を受けるということ。
 真の信心と云うか、真に有り難いという心が生まれて来る、そういう真にありがたいという心がおかげをキャッチするだけではなくて、お徳も積み重ねていく事が出来るのでありますからそれを楽しみにひとつ信心さしていただきたたいと思います。  どうぞ。